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“医は仁術”

先日県立博物館で催されていたこの企画展に行ってきました。企画展の内容は、昔から近代までの医術の変遷を、道具や書物などの展示もまじえて説明している流れになっていました。 その昔、病気が疫神によりもたらされると考えられていた頃の疫神除けの錦絵などからあり、その後中国から傷寒論などの書物が伝来し、漢方処方も入ってきたようです。その後江戸時代に入り、薬草の知識を人々に知らせるために出版された「救民妙薬」がありました。これは徳川光圀公(黄門様のことです)が藩医に命じて書かせたものだそうです。その他、薬草の知識まとめた「和語本草綱目」などの書物、豪華な蒔絵の薬箱に杏仁水、カンフル、クレオソートなどの文字も読めて大変興味深いものでした。またその頃の薬さじもあり、もんじゃ焼きのへらみたいな形をしていてこれで量れたのかなと思いました。 そして、ドイツ人により書かれた解剖書「ターヘルアナトミア」(歴史で習った!)の翻訳書である、杉田玄白らの「解体新書」(これも歴史で習った!)もならんであり、その近くに人体模型があり、これが何と 男女交換可能なのです。腹部がそっくり入れ換えられるものなのでした。また産科人形などもありわかりやすいものでした。他にも、はさみ、カテーテルなどの医療器具などもそろっており、それがあの全身麻酔による乳がん手術をおこなった華岡青洲の偉業にもつながったのでしょうか。 華岡青洲はチョウセンアサガオの実、トリカブト(両方ともアルカロイド、毒性の強いものです)、当帰、川芎などの薬草を使い、内服での全身麻酔を開発したようですが、そのため母親が亡くなり、奥さんも失明してしまったのは有名です。 そしてそれより遡ること50年ほど前、山脇東洋という人が書いた人体の解剖図などの生々しい絵(写真じゃなくてよかった、、)もありました。きっとこれら先人達の探究心が、人々を救うための仁術を発展させてきたのだと思いをはせた半日でした。


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