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信玄の死の謎

山梨といえば武田信玄公で有名ですが、信玄が病死しなければ戦国時代はまた違った勢力図になったかもしれないとも言われています。53歳という若さで病死した信玄について、その死因となった病気について、ある本を読んだりしたのですがいろいろと見解があるようです。

信玄と勝頼、二代の合戦記事などを記した甲陽軍鑑という書物によれば、主治医は信玄の病を「膈」(かく)と言っているそうです。この膈とは食道から胃にかけての病気とされていて、精神的ストレスが発症の原因なのだそうです。この記録より胃潰瘍という病気が連想されるという解釈でした。

また戦国時代の武将達の塩分摂取は現代の日本人よりもはるかに多く、この塩分の取りすぎも胃潰瘍などの病気の危険因子なんだそうです。そして塩分の多い環境ではピロリ菌が増殖しやすいことで、胃潰瘍や胃がんにかかる率も上がります。

しかし現代は多くの良い制酸剤があるので、「胃潰瘍で死ぬなんて」と思いますが、昔は吐血による失血死や、潰瘍の穿孔による死をひきおこす病であったようです。かの文豪・夏目漱石も胃潰瘍で死亡したのも事実だそうです。

他にも信玄の死因について、肝硬変や、銃弾でうたれた傷がもとで亡くなったなどという説もあるらしいですが、当時の戦況などを考えると精神的な大ショックによる胃潰瘍の悪化という説が有力のようです。

三方が原で徳川軍を破り、信長を討つべく本願寺、越前の朝倉軍との同盟ではさみ討ちにするはずが、朝倉軍が撤退してしまい、大きなショックをうけてそれがもとで症状の悪化につながったのではという説でした。

また胃がんだったのではという説は、病気の診断がでてからの生存年数を考えるとちがうのではという結論でした。

それもこれも塩分過多がもとと考えれば、上杉謙信の「敵に塩を送る」というのはもしや、、。


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